1950年以前

私たちの区は早くから港湾を中心に発展したため、外国との交易が後を絶たず、商業が発達した点から推測して、遥か昔から人が住んでいたものと考えられる。三韓時代には弁韓、三国時代には居漆山国、 新羅•高麗時代には蔚州郡、朝鮮時代には東莱府東平面に属した。
新石器時代 漁勞, 狩獵, 原始農耕 (約 3,000年前)
三韓時代 弁韓に属していたが、金官伽耶の支配を受けた後、居漆山国に入る
三国時代 新羅領域に編入、居漆山国設置、その領県である大甑県(後に東平県)に属する
新羅時代 居漆山国を合併-居漆山郡設置、駕洛国を合併-金官郡設置、居漆山郡を東莱郡に改称
後三國時代 一時、後百済の支配下に入る
高麗時代 東莱郡が降格して県とし蔚州郡に所属、その属県だった東平県は楊州郡に所属
朝鮮時代 中宗14年、慶尚道東莱郡東莱県に所属、明宗2年(1547)に東莱都護府に昇格、宣祖25年(1592)に東莱県に昇格、英祖16年(1740)に東莱府東平面に所属
*当時の東平面は、現釜山鎮区堂甘洞、伽耶洞、東区一帯の地域、東莱府は邑内面、東面、南面、南村面、東平面、西面、北面の7ヵ面22ヵ洞79里であり、 人口は19,099人、東平面は釜峴里、甘勿里、堂里、尾要里、伽耶里、釜山城内里、凡川里、凡川2里、佐白川1里、豆毛浦里、海汀里など12ヵ里あった。
1910. 01. 01 東莱郡釜山面に所属(草梁洞は沙中面に編入) 当時の釜山面は凡一1洞、凡一2洞、佐川1,2洞、佐川洞、水晶洞、東川洞、路下洞、西部洞、山水洞など10ヵ洞であった
1913. 12. 01 東莱郡釜山面、沙中面は釜山府に編入
1914. 04. 01 釜山府釜山面に所属
(凡1洞、凡2洞、佐1洞、佐2洞、佐川洞、東川洞、水晶洞、杜浦洞、山水洞、西部洞)
1949. 08. 15 釜山府を釜山市に改称

 

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